ドラマティック
故郷の山口の寒村と福岡は、日本海を通して、同じ風が吹く。
少年時代、大相撲の九州場所は、冬の始まりの合図。この場所が始まると、手袋を必要とする冷たい風にかわる。
草野球をしようにも、じっと立ってばかりの外野は、寒さでぶるぶる。手がかじかんで、思う通りに球を投げられない。
野球は止め。棚田に積んである藁を崩し、ふんがふんがと相撲をとって暖をとるしかなかったが、あの頃の寒さは、貧しさゆえの、日本共通の寒さだったのかもしれない。
今の山口の、日本の11月の子供たちは、どんな寒さを体感しているのだろう。
なんて、競馬にピキピキするには、少し早い週初めの午後。相撲があるのはありがたい。
夜はバレーボールの、さおりんを応援したりする。
でも、バレーボール中継って、いろんなテレビ局がやるようになったよね?。
まあ、サッカーも野球も似たようなもんだが、どこも同じに見える。
告知という意味における番宣は、たぶん仕方がない。
しかし、もうだいぶ前から、NHKまで、あれれと、気障りなことに、みんなが気がついている。
番宣に力を入れば入れるほど、当然ながら制作側とすれば、結果が欲しい。
少しでもウケたら、スポンサーを納得させるため、「あれはよかった」と、関係者自ら、「こんなメールやお便りがきました」と、また宣伝しなくてはならない。
しかし、いざ蓋を開けてみると、実は、番宣の度合いが大きいテレビ局や番組ほど、視聴率が低かったりするなんてことになったら、それはそれで、チョー恐いのだが(笑)。
おもしろいものに、一番敏感なのは、若い人。
制作サイドは、その若い人に、より多く、ウケを得たいと思っているのだけれど、若い人のテレビ離れは、くどいほどの番宣と、何かしら嘘くさいものに、一番敏感だったりする。
本は読むモノ、ラジオは聞くモノ。そしてテレビ、見るモノ。
ならばテレビの軸は、その一瞬を映す、スポーツに(競馬もね)、負う部分が大きい。
スポーツとは、月並みな言葉だが、筋書きのないドラマ。
ドラマとは、文字通り劇的なモノにあり、見るものとしてのテレビは、人為的な「作り物」ではあっても、みなが劇的なモノを追い、役者の演技、または役者そのものを見る(八時だよ全員集合も劇)。
テレビの主軸は、雑誌の連載コラムと同じで、地道で骨太なドラマにあるのではないかと思うのは、そういうことでもあるが(単発の「特集」「特番」は、連載が起点であり、それがあって、逆にヒットとなる)、そのドラマを見なくなって、なんだか久しい。
キョンキョンが出ているので、あまちゃんは、ちょっと見たけ。
でも、キョンキョンは、そのイメージを、なるたけ引きずりたくなくて(ドラマの像は、あくまで「役」にすぎない)、テレビの露出を控えていると聞くが、なるほどね。
なんて、東野圭吾も宮部みゆきも凄いけど、よく見ると、面白い本というのは、丁寧に探せば、いっぱいある。
ブンガク的云々は、別として、物書きたちは、普通に当然に、昔の作家よりは、いろんな面において上手いのだから、丁寧に探せば、いいドラマを作れると思うんだけどね。
丹下厩舎は、今週4~5頭、出走予定(来週も4頭?)。
競馬のドラマティックさ、水曜日の追い切りに、ドキドキ、そしてぶるぶる。
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