ボクノタイヨウ
話はさかのぼって、先週の土曜日。
午前10時すぎ、日曜日の出走馬投票確定を待って、毎日新聞の土曜日夕刊ぶんの原稿も無事校了。
グリーンチャンネルを眺めながら、そのあとネット系の原稿を2本。一週間の書きゝ仕事も終わった。
JC前日。入場無料やワールド・スーパー・ジョッキーシリーズということもあって、テレビ画面の奥が、どことなしにざわついている。
ただ、東京(というか関東圏)のパドックは、特に午前中は、光の関係やパドックの位置関係もあるのだろうが(東西南北で太陽の当たる角度が違う)、いつも以上にシルエットがボヤけ気味だ。
カメラマンではないので、技術的なことに触れるとトンチンカンな間違いになるかもしれないが、単にワタシが馬を見る目がないのか。テレビを見ている人は、あれで馬がわかるのだろうか?(みんな凄い)。
なので、午後からは、UHFと二画面でパドックを見ているのだが、ついでに、お尻から追いかける返し馬というのも、ワタシの見方にはない。
まあ、僕の太陽は人それぞれだが。
なんて、なんかみんな、楽しそうですね。
急にソワソワ。競馬場がオレを呼んでいる。
そう、9レースのファンタスティックJは、ボクノタイヨウで、ひと勝負。
しかし、テレビ中継だと、ボケた太陽に見えて、勝負を躊躇してしまうかもしれない。
湧き立つ心持を抑えきれず、龍馬伝の再放送もすっとばして、競馬場へ走ったぜよ。
こんな気持ちは久しぶり。
そんなオッチョコチョイが、大挙して東京競馬場へ突撃したぶん、土曜日の入場人員は前年比130%だった。
ま、入場無料も大きいのだろうが、何故競馬場が恋しくなったのか。個人的に上手く整理できていないが、JRAさん。競馬場に走りださずにはいられない心理——そこを解明すれば、道は開ける(たぶん)。
ブエナビスタの降着、スミヨン騎乗のアレコレが、まだマスコミを賑わせている。
馬体が併さった瞬間、手前を代えたブエナに、右ムチを入れたのは悪い。降着と判断したなら、それはしょうがない。降着制度云々や公表の仕方も、いろいろ検討すればいい。
ただ、思うのは、スミヨンに限らず特に欧州のジョッキーは、勝負どころを目指して、ローからセカンド。サードからトップへとギアを上げる。
よし勝負と馬体を併せたところが、たぶんトップギア。
スロットルをフル回転。エンジン全開のためには、馬がもっとも走りやすい手前になる(手前が代わる)。
しかし本当は、トップのあとには、もうギアはない。車やバイクを運転する人なら、誰でも知っているだろうが、いくらアクセルを踏んでも、最高のトップギアというのは、実は軽くてフワフワのまま、踏みごたえがない。
どうしようもない軽さからの、そこからの凌ぎ合い、追い比べ。叩き合って、さてどうかが、彼らの競馬なのかもしれないし、彼らに外一気の華麗な追い込みという概念は、たぶん存在しない。そのくらいの脚があるのなら、もっと早くに使い切り工夫するだろう。
そこで馬を制御できるかどうか。馬がトップスピードに音をあげず、ヨレたりしないかどうか(苦しい経験を経てきたかどうか)。それはまた別問題なんだろうが、スミヨン騎乗に対するムーアの雑感には、欧州のGⅠで渡り合ってきた、彼ら自身の思うジョッキー像、もしくは競馬像が見え隠れしているように思うが、さて。
ふと思い立ち、古本屋で、“1・2の三四郎”全巻を購入。
深夜3時まで読みふけり、ガッツポーズのままおねんね。
競馬は燃える闘魂だ。
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