「馬肉問答の巻」
20数年前に読んだきりの夏目漱石『三四郎』であったが、仕事の都合で再読している。
あの頃は、「競馬」の「けの字」も知らなかったが、競馬にどっぷりと漬かっている今は、馬の話題が出てくると敏感になる。
今日読んだところに、こんなエピソードがあった。
「(熊本の学生は)たまたま飲食店へ上がれば牛肉屋である。
その牛肉屋の牛(ぎゅう)が馬肉かも知れないという嫌疑がある。
学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたき付ける。
落ちれば牛肉で、ひっ付けば馬肉だという。
まるで呪(まじない)みた様な事をしていた」
馬肉は鮮度が命というから、みずみずしいそれは壁にペタッとくっ付いて、ナメクジが這うように落ちてくるというイメージか。
ここで、競馬界の命題が思い浮かんだ。
「競馬に関係している人は、馬肉を食べてもいいのかどうか」
10数年前に、作家の亀和田武さんが『ブルータス』(マガジンハウス刊)に九州ギャンブル紀行を寄稿するというので、同行した。
ほかに、かなざわいっせい氏、中田潤氏、田端到氏である。
昼は競馬・競輪、夜はマージャンで2泊3日という行程。
で、途中で熊本に寄ったとき、誰かが
「せっかくだから、名産の馬肉を食べよう」
と言い、誰かが
「いや、みんな、競馬の原稿を書いているんだから、やばいよ」
と言った。
結局、中間を取って(?)
「一人一切れだけ」
となったのだが、少なからず葛藤はあった。
馬に食わしてもらっているのだから、馬を食うのは道義に反するというわけだ。
現在の私の仕事仲間には、
「馬肉を食う人とは、ぜったいに仕事をしたくない」
という人もいるほどだ。
「よし、行こう」
と腹を決めたのは、かなざわ氏の一言があったからだった。
かなざわ氏は、夏になると北海道の牧場で牧夫として従事していた。
「うちの牧場の婆っちゃんに聞いたんだ。開拓していた当時は、食べ物も乏しい時代だったこともあって、普通に、馬も食っていた。だから、生産牧場をしている今でも、馬を食べることには抵抗感はないそうだ」
そういう時代に生きた人にとって、馬を食べちゃいけないなんて「きれいごと」というわけだ。
でも、我われは、そういう時代に生きたわけでもないし……。
誰かが反応した。
「そうだよな。養豚業者だってブタを食うし、養鶏家だって鳥肉を食うし、漁師は魚を、農家は野菜を食ってるもんなぁ」
じつは、みんな興味があったのだ。
この会話に、積極的に納得したのであった。
カーカーカー。
東京都知事がカラスを食うなんて言ってたから、お前ら、気ィつけなよ。