「ナリタブライアン腸閉塞の巻 第8回」
最近、丹下ほどではないけど、腹下りが頻繁なんですね。
べつに、今に始まったことではないけど、気がふさぐんです。
そういえば、大学時代、ボクは文学部の日本文学科だったんですけど、ここの学部棟の便所は臭かった覚えがあります。
ボクを含めて、みんな、国の行く末を考えたり、人生を深く哲学したり、人間とは何か、などと一生懸命に思索に耽っていたから、お腹も痛くなるのでしょう。
それに比べて、経済学部とか経営学部の棟の便所なんて、匂い自体がなかった。
みんな、その日の合コンの打ち合わせや、週末のデートの予定とか、ナンパの話しかしていないから、腹が下るなどという人間の根源的な悩みを持っていないのでしょう。
こうして人間的な成長をおさめたボクですが、ここにきて、また痛くなったのです。
気持ちの問題かな、最近、やる気もないし、と反省していたのですが、先日「ためしてガッテン」を見ていたら、どうも、「甲状腺ホルモンのバランスが悪い」という症状と一致したのです。
でもね、甲状腺ホルモンの症状ってのは、えてして、女性に多い症状なんだそうです。
ということは、ボクは本質的に女性っていうことなのかしら。
アラ、いやだ。
というわけで、10年前の夏開催スタート週は、1998年6月15日(月)〜21日(日)でした。
●17日(水)、3冠馬のナリタブライアンが、腸閉塞を発症した。
その前年(1997年)に種牡馬となり、内国産馬としては、当時、史上最高額となる20億7000万円のシンジケートが組まれていた。
すぐに開腹手術を行い、22日には退院し、快方に向かった。
手当ての術がなく、安楽死の措置がとられた。
通常、競走馬は火葬されるが、特別に土葬が許可されたそうだ。
戦後、土葬が許可されたのは、他に、シンザン・テンポイント・マルゼンスキー・パシフィカス(ナリタブライアンの母)とのことです。
●18日(木)、ハギノトップレディが5年ぶりに出産。
その11年前(1987年)に出産したダイイチルビーが活躍したが、その後の産駒は泣かず飛ばず。
93年にフジノキャラット(父・リズム)を出産してからは、不受胎・流産・死産が続き、待望の産駒だった。
父・ラムタラのその仔は、ダイヤモンドクインという馬名の牝馬で、船橋競馬で15戦4勝という成績。
ラムタラの日本における種牡馬デビューは、99年(97年生まれの産駒)だから、このダイヤモンドクインは日本での2世代目となる。
44億円というシンジケートを組んで、鳴り物入りでの種牡馬入りだったから、華麗なる一族との配合は、かなり期待されていたと思われる。
●20日(土)、福島競馬がスタートした。前年97年は、新スタンド完成による2年ぶりの開催や、武豊騎手の福島初参戦と話題が豊富で、多くの売り上げ・入場者数となったが、その反動で、この年の初日は、何と、入場者が昨年比46.0%のダウンと、ほぼ半減。
売り上げも、21.6%のダウン。
かつては「売り上げのメッカ・福島」とも、「馬券上手の福島人」とも言われていたが、そんな風潮も、遠い昔になってしまったのか。
と書きつつも、ボクもとんと福島には行ってないなあ。
以前に行ったときには、そのまま、飯坂温泉でドンチャンし、浴衣姿でストリップを観に行き、温泉街の射的でバンバン景品を落としまくり、店主に「あんた、ガンマンにでもなった方がいいんでねえの」と言われた武勇伝を持つ。
●20日(土)、福島8Rでパワーワイドショーの鞍がズレ、ゲートをくぐり抜けて放馬。
発走時刻が24分も遅れた。
過去、94年12月11日の阪神競馬で、枠内で馬が暴れて発走除外になり、2頭が枠入り不良などが続いて、発走が15分遅れたことがあるが、20分を超える遅延は初めてのケースだった。
はたして、39歳の丹下は、早かったのか、遅かったのか。
●さて、この週のメーンは「第51回鳴尾記念」でした。1番人気エアグルーヴ(武豊)、2番人気アヌスミラビリス(横山典)、3番人気サイレントハンター(吉田豊)。
村山明のトウカイタローの大逃げで、直線入り口では、14頭立ての14番手までにバテてしまうという流れ。
これを後方から差し切ったのは、7番人気、安田康彦のサンライズフラッグでした。
2着エアグルーヴで、馬連1080円。
こんなにつかなかったのは、エアグルーヴが1・3倍のグリグリ人気だったからです。
カーカーカー。
さて、この鳴尾記念。
当時39歳の丹下の、◎○▲は何だったのでしょう。
そして、的中させたのでしょうか。
その答えは、丹下が次回のブログでご報告いたします。
- « 腹黒懐石
- 《丹下の懺悔トップ》
- パ〜でんねん »