「WBA世界タイトルマッチの巻 第10回」
真夏になると、丹下のあのフレーズを聞かなくてはならない。
電話口で聞くだけなら我慢できるが、黙っていると、「何だよ、笑えよ」と脅してくるから厄介だ。
「暑くて暑くて、金玉が腫れ上がっちゃったよ。キャハハハハ」
……笑えないよ、毎年毎年、同じギャグでは。
マンネリと言えば、7月になると神宮球場・神宮第2球場で「甲子園の東京予選」が始まる。
その脇を歩いて事務所に通っているのだが、これまた、毎年毎年、山本リンダの「狙いうち」で応援している高校が多いことに気付く。
吹奏楽部の、
「♪ウララ、ウララ、ウラウラで、ウララ、ウララ、ウラウラよ、ウララ、ウララ、ウラウラの、この世は私のためにある」に続けて、「カットバセー、タンゲ!」と叫ぶ。
1973年に発売された歌だから、じつに25年近くも使われている。
今の高校生は当時を見ていないのだから、脈々と吹奏楽部で伝えられてきた伝統の応援曲となるわけだ。
美人ヴァイオリニストの幸田聡子さんが『21世紀に残したい歌』というCDを3枚発売しているが、その内容は以下の通り。
「北の宿から」「瀬戸の花嫁」「卒業写真」「北帰行」「時の流れに身をまかせ」「有楽町で逢いましょう」「恋のバカンス」「いつでも夢を」「恋におちて」「与作」「津軽海峡・冬景色」「花メドレー;この世の花・シクラメンのかほり・花」「昴〜すばる〜」「贈る言葉」「ブルーライト・ヨコハマ」「夜霧よ今夜もありがとう」「高校3年生」「お富さん」「精霊流し」「上を向いて歩こう」「恋人よ」「喝采」「男はつらいよ」「君といつまでも」「時代」「北国の春」「いい日旅だち」「王将」「島唄」「遠くへ行きたい」「桃色吐息」「女ひとり」「時には母のない子のように」「ピンク・レディー・メドレー」「アカシアの雨が止むとき」「リンゴの歌」「今日でお別れ」「なごり雪」「ブルー・シャトウ」「古城」「蘇州夜曲」「ゴンドラの唄」。
残念ながら、「狙いうち」は入っていない。
つまり、21世紀には残さなくてもいい歌ということのようだ。
高校生諸君、もういい加減に、新しい曲に替えたらどうだ?
というわけで、1998年の今週は、7月20日(月)〜26日(日)でした。
●22日(水)、函館滞在中の田中勝春騎手が、調教中に落馬して、救急車で市内の病院に運ばれる事故が起こった。
地下馬道で急に馬が暴れて振り落とされたそうで、勝春騎手は、しばらくうずくまったまま。
一時は調教スタンドが騒然としたが、自ら立ち上がって救急車に乗り込んだ。
レントゲンおよびCTスキャンの結果、「頚部(首)外傷」と判明。
しかし、その週の騎乗に支障はなかった。カッチー、カッコいい〜!
●25日(土)、新潟競馬で牝馬が1日10勝をあげた。
第1Rのタイミングキーラーから9連勝して(第5Rだけは、牝馬限定戦)、10勝目は第12Rのリワードニンファだった“夏は牝馬”の格言通り。
ちなみに、この日、牝馬を負かしたのは、第10R「寺泊特別」のエドノタイクーンと、第11R「NST賞」のスプリングマーチでした。
●同じく25日(土)、阪神10Rで武豊騎手がエイシンファイトで勝ち、JRA年間100勝を達成した。
92年から7年連続10回目(岡部幸雄騎手と並びJRAタイ)の快挙だった。
なお、7月25日での達成は、これまで同騎手が持っていた記録(97年8月2日)を更新する最短記録となった。
昨年07年まででは、通算18回。
最短記録は05年の5月29日(日本ダービー、ディープインパクトで達成)。
今年08年は、先週(7月20日)までで、98勝。
今週の達成は、間違いないだろう。
●26日(日)、WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ「飯田覚士vsフリオ・ガンボア」の一戦が行われた。
飯田にとって、2度目の防衛戦である。
4月29日の初防衛戦(井岡弘樹)の直後、雑誌の対談で武豊騎手と知り合った飯田は、「減量」という同じテーマもあって意気投合し、武豊から「試合の時は日曜日でも、どこの競馬場からでも駆けつけますよ」との言葉をもらっていた。
しかし、当時、ゴールデンタイムでのテレビ中継が少なく、この試合も昼間の試合となってしまった(日本テレビ系で午後3時半からの中継)。
武豊をリングサイドに呼ぶためには、勝ち続けて安定王者となり、夜の放送枠を獲得するしかなかったのだ。
結果は、3−0で飯田の勝ち。
しかし、同年12月の3度目の防衛戦で敗れ、引退することになった。
●さて、この週のメーンは「第33回北九州記念」でした。
1番人気ランフォザドリーム(河内)、2番人気ツルマルガイセン(高橋亮)、3番人気プロモーション(武豊)。
12番人気のトウショウオリオン(池添)3F35秒0−5F59秒3という絶妙のペースで逃げ切ってしまいました。
2番手、3番手を追走していたランフォザドリーム、プロモーションは、最後に2着の9番人気マチカネヤマビコ(菊沢隆徳)に差されて3、4着。
ツルマルガイセンは「後方まま」の10着。
大荒れで、馬連は4万4740円でした。
カーカーカー。
さて、この北九州記念。
当時39歳の丹下の、◎○▲は何だったのでしょう。
そして、的中させたのでしょうか。
その答えは、丹下が次回のブログでご報告いたします。