ダービーのその先に
オークスの結果の、その先に、もしかしたらダイワスカーレットとウオッカの、次元の違う、果てしないマッチレースがあったんじゃなかろうか。
オークスを終えてから、その思いが何度となく頭の片隅をよぎる。
もちろん、その二頭がいれば、オークスでは、人気を一人だけで背負うこともなく、ベッラレイアは気楽な競馬もできたかもしれない。
しかし、立場は楽でも、あの二頭とは何かが違う。
ダービーでウオッカに本命を打つのは、予想家として一本筋が通っているし、例えばダイワメジャーの皐月賞も、今年のヴィクトリーの皐月賞も、予想としての理論や後々のアレコレは、すべて理に適っている(春のGⅠシリーズでは、コイウタの根拠だけは怪しいが)。
まだ十年も若い時分のワタシなら、ウオッカを本命としてダービーに向かっのか。
現実に、井崎シューゴローは、ダイワメジャーの皐月賞も、ウオッカのダービーにも◎を打ったんですよね。
足らない何かとは何だろう。
なんて、実はダービーのパドックのウオッカを見て、馬道近くから馬を見上げると、腹が巻き上がっているようにも感じた。
しかし、もう一度6階の踊り場に出て、上から眺めてみると、さきほどのイメージはない。
本馬場入場の際には、下手なオトコ馬より堂々として映る。
直線を向き、ズバリと開いた馬場のド真ん中からウオッカが抜け出したときの、上がり3Fは33秒0.
懸命に2着を死守しようとするアサクサキングスの上がりは34秒9.
そして、右に左に、何度もヨレながらも、やっと3着に差し込んだアドマイヤオーラは33秒7.
フサイチホウオーにはイレ込み。
ヴィクトリーには、出遅れという誤算もあったかもしれない。
しかし、ただひたすらゴールに向かって邁進するウオッカと、後続との3馬身余の着差には、ある種の決定的な差があったような気がしてならない。
それを言葉で上手く表現できないが、
「オークスに行くかダービーを選ぶか。どっちが自分を鼓舞できるのだろうかと思ったとき、そこにダービーがあった」という角居調教師の言葉が、今年のダービーを代弁しているのだろうか。
志とは何か。
それを思うと、ワタシの胸もまた痛む。
今年のダービーを、また新たな年の競馬の、ダービーの糧にしようじゃないか…。
まる二日、死んだように眠りこけ、競馬の新年が明けた。
あけましておめでとう。