「ナリブー死去の巻 14回」
9月24日夜、麻生太郎内閣が発足。
農林水産大臣には、石破茂さんが就任した。
つまり、わたしのような三文ライターをはじめ、競馬界の頂に君臨することになったのだ。
座右の銘は、「至誠の人、真の勇者」。
慶応大学出身なので、学閥として、丹下を重く登用していただけるとありがたいのだが。
その夜、石破大臣が素っ裸に越中ふんどしを締め、腹をだぶつかせながら、あのトロリとした三白眼で、日焼けした頬を紅潮させ、摺り足でそろりそろりと寝室に入って来た。
そして、寝ている私の耳元で、「栗ちゃん、思いっきりブッて」とささやいたところで、飛び起きた。
激しい脂汗をかいていた。悪夢だった。
しかし、私の、これまでのSM体験からすると、あの手の顔・体型は「真性のM」という気がしてならない。
テレビに石破さんが映し出されると、赤いロープに縛られた醜態を想像してしまうのは、決して私だけではないはずだ。
当たらずも遠からず、であろう。
というわけで、1998年の今週は、9月28日(月)〜10月4日(日)でした。
●この週の前半、スポーツ紙を賑わせたのは、前週の27日(日)に死去したナリタブライアンの記事でした。
ブライアンに変化が起きたのは、26日(土)の午後4時半ごろ。
CBスタッドの馬房の中で、前掻きを始めた。
そのうちに横になって、自分の腹を見始めた。
発汗もしている。典型的なセン痛の症状なので、三石町の「三石家畜診療センター」に移送された。
だが、症状は治まらず、27日午前5時ごろには、さらに悪化。
午前11時ごろに開腹手術を行なったが、胃が破裂した状態で手の施しようがなく、正午ごろに安楽死処分がとられた。
産駒は、わずか2世代。8歳であった。
●30日(水)付けで、菅原隆明騎手が引退。
78年にデビューして、通算174勝。
ボクは、その頃、競馬をやっていなかったので、思い出はないのですが、後に田中勝春騎手で日経賞を勝つキリサンシーに多く騎乗していたようです。
●4日(日)、ロンシャン競馬場で「第77回凱旋門賞」が行なわれた。
優勝したのは、地元フランスのサガミックス。
これで、4戦4勝。
鞍上のオリビエ・ペリエ騎手は、96年エリシオ、97年パントルセレブルに続いて3年連続の制覇となった。
サガミックスは、この後休養に入り、翌年の5月に復帰したが勝ちに恵まれず、通算9戦4勝で引退した。
●4日(日)、中山6R「新馬戦」でホシノカミコウチが勝ち、鞍上の蛯名正義騎手(当時29歳)は、デビュー12年目にして初めて、年間100勝を達成した。
年間100勝騎手は、この当時の時点で、史上14人目。
岡部、武豊両騎手の10回が最高です。
●ナリタブライアンの記事に占領されたため、トピックらしいトピックは、これくらいでした。
●競輪面に、ちょっとしたトラブル記事があった。
4日(日)、岡山県の玉野競輪場。
7Rに失格判定があり、8Rでは自由練習と実際のレースでの位置取りが違って、ファンが騒ぐ、というトラブルがあった。
おそらく、その影響だと思われるが、翌5日(月)の朝、バンクに油がまかれているのが発見された。
油は、1〜2コーナーの間と、4コーナーの数ヶ所にバンク上部から計18リットルほど流されており、粘りけのある油でバンクはベトベトになっていた。
そのため、5〜6日のレースは中止になった。
●さて、この週のメインレースは、まず、中山の「第46回クイーンS」。
1番人気エアデジャヴー(横山典)、2番人気シンコウノビー(蛯名)、3番人気マックスキャンドゥ(四位)。
14番人気タカミツローズ(武士沢)の逃げで、1000m59秒6は平均ペース。
好位追走組に展開が向いて、1着エアデジャヴー、2着ナオミシャイン(柴田善・7番人気)、3着ケイツーパフィー(小野・10番人気)となりました。
●阪神では、「第12回セントウルS」。
こちらは、「短距離の追い込みには、要注意」という格言通り、2番人気マイネルラヴ(武豊)が差し切って優勝。
2着は、先行して粘った4番人気マコトライデン(福永)、3着に1番人気シンボリフェザード(藤田)となりました。
3番人気サンライズアトラス(安田康)は、追い込み届かず8着まで。
カーカーカー。
さて、この「クイーンS」と「セントウルS」。
当時39歳の丹下の◎○▲は、どの馬だったのでしょう。
そして、的中させたのでしょうか。
その解答ですが、丹下は、この秋から「毎日新聞」で印を打ち始め「何かと忙しい」と愚痴っていますので、いずれ、ってことにしましょう。
本当は、朝夕刊の配達でもしているんじゃないの?