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「米国馬主の工夫、の巻。その1」

 代替競馬明けの火曜日、神保町に出掛けた。

 仕事をほったらかして、古本を漁ろうという企てである。

 時たま、普通の人が書いた「日記」が出回っていることがある。

 これが、おもしろい。

 その当時の世相や社会状況について、客観的に述べるのでもなく、評論するのでもなく、極めて主観的かつ私怨を込めて書かれているから、庶民の思いが手に取るようにわかるのだ。

 だからこそ、一級資料となる。

 今回も、掘り出し物を見つけた。

 博文館(創業1887年)の青い装丁の日記帳で、1965年と1966年の2冊。

 それ以前にも、それ以後にも書かれていたと思われるが、散逸してしまったのだろう。

 表紙に墨筆で『月極めウヰークリー日誌』とある。

 私、こういう洒落ッ気たっぷりのセンス、好きだな。

 この題名だけで買ったようなものだ。

 要するに、「毎日書く自信はないけど、週に一回なら続けられるかな、でも、もし、さぼったとしても最低、月に一回は書こう」というユーモアである。

 2冊で1800円なら、高くない。

 題名の下に、こちらは万年筆で筆記体の「Y・Masuda」。

 ここでは「増田さん」と、字を当てておこう。

 その増田さんをプロファイリングしてみると。

 「精養軒にて打合せ」、「笹乃雪で契約交わす」、「駒形に5人集合。二次会、神谷バー」……など、老舗の料理屋が頻繁に出てくる。

 フランス料理の精養軒は上野。

 豆腐料理の笹乃雪は根岸。

 駒形のどじょう料理、神谷バーは浅草。

 このあたりから住所を推理すると、「台東区の人」と思われる。

 「麺の太さ、3種類同時につくるには。→動力を一定速度から、加速させては?→遅いと太麺、速いと細麺。→その加速を繰り返す」、「澤田さんより、ナットとボルト5000発注。23日まで」、「資金繰り、急げ」という仕事のことから、「七夕。溶接の火花はリアリズム。幸子と遊んだ線香花火はロマンチシズム」なんてことまで書かれている。

 ここから、「工業製品を造る小さな町工場の社長」が浮かぶ。

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 「13年目の記念日。幸子、ばあさんに預ける。純子と銀ブラ。日本橋・たいめいけん。ハンバーグ」、「PTAより運動会協力の依頼時間なし。断る」、「ばあさん、肺の具合悪し。経理の美佳ちゃん、純子と墨東病院。昼の出前、4人分は痛し」……などとあるから、母(ばあさん)・自分・妻(純子)・娘(幸子)の4人家族。従業員は、男3人と経理の美佳さんの計4人。

 ざっと、こういう環境にあったと思われる。

 娘が小学生で、結婚して13年だから、年のころは、35歳前後という増田さんである。

 増田さんは、けっこう競馬好きのようだ。

 毎週とはいかないが、ちょくちょく馬券を買っている。

 「特券勝負も、花と散り」、「(1965年5月30日)小雨のダービー。キーストン、ダイコーター。1−6、730也。足一本的中!」、「馬、外れ、外れ、外れ。パチンコ、入らず、入らず、入らず。浅草の冬はちべたい」、「馬券黒字。美家古寿司、特上(!!)。純子、幸子にお土産だ」……などなど。

 40年前も今も変わらぬ馬券オヤジの風景が描かれている。

 ちなみに「足一本」とは、当時の1000円馬券(特券)を4人で割ってグループ買いしたものだろう。

 前置きが長くなってしまったが、その増田さん、1966年の7月20日〜8月4日までの2週間、東京都から助成金を得て、東京商工会議所主催の「第4回精密機器研修」の旅に出掛けたのである。

 日本では高度経済成長の真っ只中。

 会社を発展させていくためには、バスに乗り遅れてはならない。

 新しい技術を取得すべく、一大決心したといってもいい。

 出発前日の日記には、こう書かれていた。  「……食べ物は大丈夫? 水は大丈夫? 正露丸。若手として参加する、中卒の小生、言葉は分かるのか。孝三くんと一緒なら、気も楽。純子、幸子、父さんはひと回り大きくなる。あこがれのフォードに試乗できるとか、夢のようだ。……ただ今、午前4時。まだ眠れない。怖いのか? 成るように成れ」

 下町のオヤジの心情が、あけすけに吐露されている。

 

 当時は、海外旅行なんて日常的ではないし、海外情報も少ないのだから、本当に心細かったのだろう。

 行き先は、アメリカ。自動車工業のメッカであるデトロイト。通称「モータウン」。モーター・タウンの略称である。

 さて、技術研修はさておき、中日にあたる27〜28日の2日間は、観光旅行に当てられた。好きなように遊びなさいという感じで、増田さんは友人5人とデトロイト競馬場に行ったのだ。ここは、ミスタープロスペクターの4代母にあたるマートルウッドが、4歳時に6ハロンと8・5ハロンのコースレコードを打ち立てた競馬場。ちなみに、マートルウッドは、1936年のアメリカ最優秀古牝馬・最優秀短距離馬に選出され、1979年にアメリカ競馬の殿堂入りを果たしている。

 このときの日記が、じつにおもしろい。

 増田さん一行は、その当時としては珍しい日本人に映った。

 フォード社の通訳者から、競馬場の開催役員を紹介される。

 そして、その役員の仲立ちで、一人の調教師の話を聞くことができたのだ。

 英語をしゃべれないし、読めない増田さんの馬券成績は、「買い方が分からない。パドックだけで予想を立て、ウイン(単勝)で遊んだだけ」という一文から、たいした儲けは出なかったようだ。

 しかし、増田さんは、その調教師から、技術者としての「魂」をおおいに揺さぶられた。

 何をするにしても、試行錯誤、工夫、実践、継続。

 その大切さを胸に刻むことになる。

 増田さんが、いかに感化されたか。

 日記には、3ページにわたってホテルの便箋が貼り付けられ、そこで聞いた話の数々を細かく、図解入りで説明してあるほどだ。

 貼り付けた紙が、これだけ長く剥がれなかったのは、古本屋さんがしっかりとメンテナンスしてくれたお陰だろう。

 

 カーカーカー。

 何だか長くなりそうなので、以下、次回。

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