司馬遼太郎の『菜の花の沖』を、
あと少しで読了するところにきている。
淡路島の名もなき農民の子が、江戸末期、高田屋嘉兵衛として、
蝦夷地の北前航路を切り開いた顛末を追った小説だが、
船乗りとはどういう存在で、どう生きてきたのか。
藤原純友も平清盛も源義経の下関の源平合戦も織田水軍も、
ポルトガルやスペインの無敵艦隊や、世界制覇を成し遂げたイギリス海軍も、
ロシアを打ち破った東郷平八郎の日本海海戦を読んでも、
船乗りという正体というのは、なかなかつかめない。
ジョン万次郎は、少し語ってくれたが(津本さんの小説を読みました)、
その仕組みを、この本は、キチンと説明してくれている。
山口の故郷のすぐ近くの角島という瀬戸の流れや、
響灘と呼ばれる海の存在が、この本を読んで、やっとわかりました。
父は船主、船頭でした。
幼い時から、乗り組みの人たちから、父は常に「船頭さん」と呼ばれていた。
船頭は船の上では神様。
「俺は船頭だ」と、時に父がつぶやくことがあった。
その意味が、この歳になって、“菜の花の沖”を読んで、初めてわかった。
知ったところで、父は3年前からアルツハイマー。
その時ほぼ廃船とした船の名前が、
父とワタシの名前の一字を組み合わせた船だったことを
思い出したりもしたが、その本も父も、
「人は一代」としきりに言う
会社、商人は、誰だってそうだが、船乗りは特に、
ほんの少し前の時代まで、その言葉を、
文字通り潮風と太陽に焼き付けられ
刻み込まれて生きていた人たちだった。
永い年月で潮焼けした船乗りの目は、
何故か碧く深いという。
アルツハイマーになった父親の瞳を、
今度会ったとき、キチンと覗き込むことができるだろうか。
競馬は三日間開催。
一気に原稿を書き上げようとしたが、
三日目の半ばで力尽き、酔っ払って野球観戦中。
「もし俺が大谷クンだったら、軽く170キロは出している」と、
酔った近しい人から電話あり。
遠い昔、ひかり号は時速何キロだったかなぁ。
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