「先入観は禁物ですよ、の巻」
ヴィクトリアマイルには、まったくの裏をかかれて、この日もオケラ。
ここ3週、まったく払い戻し機の前に立っていません。
完全にズンドコ状態です。
ここは気分を変えるべく、めったに行かない音楽会に行ってきた。
サントリーホールで開催された「読売日響」のコンサートである。
演目は、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。
チャイコフスキーには、わたしなりの関心があった。
高校1年のときに上演された映画「冬の華」(降旗康男監督)で使われた曲が、「ピアノコンチェルト1番」。
高倉健演ずるヤクザが、殺した相手の娘・池上季実子のことを気にかけて、伯父と偽って文通を続ける一方、自分自身は堅気になれずに破滅していく、という物語。
実に、この曲を効果的に使っていた。
当時から演劇にのめり込み、特につかこうへい作品には感化された。
氏の代表作「熱海殺人事件」は、大音量でかかる「白鳥の湖」で幕が開く。
あのぞくぞく感といったら、高校生のわたしにとっては、なにか悪場所に足を踏み入れたときの感情に似ていた。
つまり、降旗康男監督も、つかこうへい氏も、チャイコフスキーに突き動かされて作品を完成したのではないか。
逆に言えば、チャイコフスキーの作品には、人を駆り立てる何かがある、ということだ。
そんなわけで、物書きの末席を濁すわたしも、
「突き動かされたい」
という期待を持って聞きにいったのだ。
「悲愴」という曲目からは、ツンドラ地帯の地響きのような重低音が想像された。
うん、これならわたしの心もおおいに揺さぶられるだろう。
あに図らんや。あたしゃ、何にも突き動かされなかったよ。
「悲愴」ってタイトルは誰がつけたんだ?
わたしがつけるとしたら、「ピクニック」とか「山登り」ってイメージ。
第1楽章は、湖のそばにある別荘に到着。
第2楽章は、翌朝の気持ちよさ。
第3楽章は、山登り。
第4楽章は、山に登って人生を考える。
この第4楽章が、無理やり「悲愴」に結びつけられないことはないが、全体には「悲愴」という感じはない。 パンフレットを読むと、ロシア語の原題「パテティーチェスカヤ」は、「熱情」とか「強い感情」という意味で、「悲愴」という意味はないそうだ。
まったくいい加減だし、名前によるイメージ付けって恐ろしいものだよな。
ほとんどの日本人は「悲愴」だと、葬送行進曲のようなものをイメージするのではないか。
それなのに、けっこう楽しい曲だし、突き動かされるというよりは、一生楽して終えればいいな、なんて感じ。
つらいことなんか、飛んでけー!
教訓。
先入観を捨てよ。
もしかしたら、馬名だけだとGI馬にはなれそうもないヤナギムシだって、分からないよ。
とても政治家になれない名前の丹下日出夫だって、明日はJRA理事長かもしれない。
そんなこんなで、カーカーカー。
あんたらカラスは、馬券が買えなくて幸せだな。