「ぷちナショナリズム体験談の巻」
オシムJAPANの緒戦
「対トリニダードトバゴ戦」
を観に国立競技場に行ってきた。
日本代表の試合は混んでいるし、騒がしいからテレビ観戦がもっぱらだったが、せっかくチケットをいただいたのだし、台風一過で気持ちよさそうだから、ビール片手に。
選手紹介のアナウンス。
おお、あの声はもしかして……。
グリーンチャンネル「明日のレース分析」で土曜日のキャスターを担当する関野浩之さんの声に相違ない。
関野さんは、代表戦のみならず、フジテレビ「すぽると」のナレーターとしても、お馴染みだ。
いつもは競馬の仕事だけでお世話になっている人が、まったく別の分野で活躍されている姿(声だけだが)を見ると、何となく誇らしく思うのである。
次に、歌手の小柳ゆきさんによる、国歌独唱。
彼女のことは詳しく知らないが、女性にしてはたいへん豊富な声量があるようで、しっかりとした「君が代」を聞けた。
先日、亀田興毅の世界タイトルマッチで独唱した元T−BOLANのボーカル・森友嵐士さんとは大違い。
しっかり喉を作っている人は、たとえばマイクがなくても腹に響いてくるものだ。
もっとも森友さんは、人前で歌うのが11年ぶりというから、使った側にも問題あるが。
「……苔の生ぅすぅまぁあぁで〜」
と歌い終わるや否や、ゴール裏からドンドンドンと太鼓が打ち鳴らされ、
「ニッポン、ニッポン」
の大合唱が始まった。
なるほど、これが香山リカさん命名の
「ぷちナショナリズム」
の現場というものなのか。
テレビでは知っていたが、初めて目の当たりにした
「ぷちナショナリズム」
は、わたしの目には一種異様だった。
拡声器で扇動する者がいる。
憑かれたように手を叩く者がいる。
声が嗄れるほどに大声をあげる者がいる。
それらが何百人のグループになって揺れている。
これは、宗教がかっている。
これが現代の自己表現方法なのか。
そうではあるまい。
たまっているエネルギーを発散しているようにしか見えないのだ。
発散するのはいいが、国としての「日本」ではなく、得体の知れぬ「ニッポン」の下で、しかも個人ではなく、群集で発散しているのは、ちょっと引くものがある。
これを「愛国ごっこ」と評した人がいた。
けだし名言といえよう。
出版界では不況になると、
「日本人のルーツ物」とか「苗字の由来」とか「日本語もの」
とかが売れると言われる。
貧乏に耐え忍ぶ時期は、今一度、静かに自分を振り返ってみようと、誰しもが思うのだろう。
だから、好景気になれば、あの「ニッポン」は薄められるのかも知れない。
先日の「キングジョージ」の応援イベントでは、ハーツクライを1着に予想しなかったファンが15人くらいいた。
10人が10人、ハーツクライを応援するよりも、そういう人がいた方が安心できる。
競馬ファンはまだ、「ニッポン」ではないので救われる。
カーカーカー。
やや、もしかして君、日本サッカー協会のシンボル
「八咫烏(やたがらす)」
だったりして。