「コメント万歳の巻」
6月13日(火)の新聞を5紙も並べて、祖母がつぶやいたのだ。
「見出しに『日本が負けた』とか『ニッポン惨敗』だとか書いてあるけど、本当かねぇ。戦争中なんて、毎日毎日、日本が勝った、日本の快進撃、なんて書かれていたけど、全部ウソだったのにねぇ。結局、負けてしまったじゃないか。大本営発表なんて、眉唾だよ」
いや、おばあちゃん、もうそんな時代じゃないんだよ。
オーストラリアに負けたんだよ。
「そうかい? じゃあ、もう、東京オリンピックは面白くなくなったね」
ボケているのである。
もう90を超す年齢だから、今がどの時代なのかがわかっていない。
わたしのことを、当時、隣に住んでいた「ヒデスケさん」なんて呼ぶのだ。
だが、新聞情報に対する態度は、この一言で理解できるであろう。
大本営発表によって翻弄されたことが、身にしみこんでいるようだ。
だから、自分の目で確かめたことしか信じていない。
銃後を守り抜いてきた女性のしたたかさだろう。
「情報信ずべし、然もまた信ずべからず」
とは、菊池寛先生の金言である。
われわれ競馬モノも、どれだけ情報に惑わされてきたのか。
しかも、惑わす情報というのは、馬券を買う直前に、まるでそよ風のように耳元をくすぐるのだ。
あっちで、
「どうも3番の馬、フケだそうだよ」 とか、
「1番人気の馬は、今回は叩き台だそうだ」 とか、
「やべぇ、6番の馬に丹下が◎打ってるよ」 とか。
それらが一瞬にして頭を支配し、当初のマークカードを破って、書き換えてしまう。
結果は言わずもがな、である。
じゃあ、情報を全く信じないのか。
それとも、確かな情報を入手する術でもあるのか。
むかしむかし、「週刊ギャロップ」で連載していたころ、あるトラックマンが、情報の選別法を教えてくれた。
当たり前といえば当たり前のことだけど、
「コメント発表者しか分からないような情報は信じられるヨ」 と。
つまり、騎手ならレース中での出来事だし、厩務員なら担当馬の性格や状態だし、調教師なら戦略に関することだし、……という具合である。
たとえば、前走の敗因コメントで、厩務員による「道悪が響いたね」よりも、そこは実際に乗っている騎手の「気難しい馬で左に寄れてしまった」の方を信じるというわけである。
そうすれば、次走、良馬場で狙うよりも、右回りコースに替わったときに狙った方が的中確率が高いのである。
これさえも本当かな、と思うが、本当らしく聞こえる。
情報なんて、そんなもんだね。
カーカーカー。
お前たちは情報に翻弄されなくて幸せだな。