「かにかくに山古志村は、の巻」
「最終レースで◎シベリアンヒートが来たら、温泉に行くよ」
4着に敗れ、前回のブログにあるように、自宅の「ツキなし温泉」でへこんでいた丹下を見捨て、われわれ6名の「ツキあり温泉」組は、月岡で競馬疲れを癒してきた。
泉質は、いわゆる「美人の湯」といわれる「硫黄泉」。
あっさりとした臭さがいい。
「パパ、このお風呂くちゃいから、オナラをしても誰もわからないね」
5歳くらいにして、この知恵。
将来、大物になるかも知れぬ。
そんな男の子を横目で眺めながら、このネタをブログに使おうと考えている自分の浅ましさ。
翌8月14日(月)。
朝から「東京の大停電」のニュースを見る。
都内が混乱しているさなか、温泉でゆっくりできるのはラッキーだった。
わたしは、幸か不幸か、これまで大事に直面したことがない。
逆に言えば、大事に遭遇したときの免疫がない。
そんな状況になったとき、きっとオロオロしてしまうに違いない。
それを察知してか、一緒に行った出版社の重鎮がタクシーをチャーターして、
「今から、山古志村に行くぞ」。
月岡から国道290号線をひたすらに南下していく。
田園を走り、集落を通り過ぎ、また田園、集落。
のんびりとした日本の田舎を眺めつつ、約2時間。
写真集『山古志村ふたたび』(小学館)で知る限り、この村は、日本でも一、二を誇る棚田の景観地であった。
山々に囲まれ、すり鉢状の丘陵地に広がる何段にもわたる棚田は幾何学模様にレイアウトされ、その四季折々は、この世のものとは思われぬほど美しかった。
2004年10月23日の新潟県中越地震が起こる前までは。
しかし今は、村に入る前から、小川に場違いな岩がごろごろしている。
にわかに緊張してきた。山を登っていくにつれ、復旧工事でほこりっぽく、窓が開けられなくなる。
山肌はえぐれて茶色い顔になっている。
手を触れれば倒壊してしまいそうな家屋が崖すれすれに踏ん張っている。
鬼にでも根っこごと引き抜かれたような大木がそこらじゅうに投げ出されている。
本来ならこの時期、緑の穂をたたえているはずの棚田は土砂につぶされ、見るも無残な顔をしている。
昔の姿を取り戻すことができるのだろうか。
「ピクニック気分で、こんな所に来るのはマズイんじゃないですか」
「現実をちゃんと見ておきなさい」
重鎮にそう叱られた。
かずかずの災害は、テレビや映画の中での出来事であった。
両親は東京出身で、石川啄木のような
がなく、台風や地震などの自然災害は実感がない。
頭の中では想像できても、今、現実に直面すると、いかに自分の想像力が乏しいものかを突きつけられた。
つまり、黙ってこの痛々しい姿を目に焼き付けるしかなく、無力を実感したのである。
「わたしン所も揺れましたけど、いやぁ、こりゃひどい。まるで山岳ラリーをしているような気分ですよ、ね」
右に崩れそうな山、左は絶壁。
その間を縫うようにして作られた道でないような道を、地元出身の運転手さんは、軽口を叩きながら平気で進めていく。
車は激しく揺れて、山古志村を後にした。
それまで、彼の多弁にしてつまらぬ冗談に辟易していたのであったが、この村を境に、急にたくましく思えてきた。
長岡市内に入って、老舗の「長岡小嶋屋」でへぎそばを食しつつ地酒を呑む。
やっと安心することができた。
昨日の競馬の話題で、気を紛らわせるしかなかった。
カーカーカー。
一日に東京大停電と山古志村。
さすがに感じ入るところがあったよ。