競馬バカ一代
朝一番で仕事を三発やっつけたあと、今週末の、山口への帰省用にと、本屋と古本屋を何軒か回り、時刻表と宮部みゆきの「模倣犯」。船戸与一の「伝説なき大地」を購入。
山口に帰ると、ほとんど何もすることがないので、枕代わりになるような、できるだけ厚い本を買ったが、今から読んじゃうと楽しみがなくなっちゃうかも。
というワケで、何年か振りに時刻表を繰り、子フグ1・2号に、
「ほれほれ。下関から長門市まで、山陰線の鈍行だと、2時間もかかっちゃうんだよね。途中の小串という駅で、一本線なのに、何故だか乗り換えなきゃいけないんだよね。その時間は、わずか2分。グズグズして遅れるバカがたまにいるけど、おめぇら大丈夫かよ」。
「いやぁ〜。パパの実家は、それにしても田舎だねぇ〜」と、自慢げに振ったら、
「そんなの、ネットで検索したら、何時何分にどこで乗り換えまで、出てくるわよ」とプイ。
ふーん。そうなんだ。
なんて、高校三年年の夏休みに、クラスメイト4人と長野の白馬にノコノコ旅したことがあったが、その一週間前くらいから時刻表と首っぴきで、
「寝台特急さくらは、名古屋に午前5時前に着き、それから木曾川をさかのぼって糸魚川線がどうのこうの」。
「おい。お前は怪しげな眼をして、アチコチ出歩くクセがあるから、寝台列車は三段の一番上で大人しくしていなさい。特に神戸を過ぎたあたりから、栗岩太郎のようなアブラぎったオッサンが乗ってきて、浴衣に着替えて、ワンカップ片手に腹をボリボリ掻いていたりするから、慎重に行動するように」。
「寝台列車ではオナニー禁止。アグネス・ラムのポスターを天井に張ろうとするな」
「木曾は山の中である」
「歯磨き、どこでする?」
時刻表を眺めながら、来たる信州での出会いに、妄想をたくましくしていたこともあったっけ。
しかし、帰りは何故か時刻表いらず。
長野でいろんな人との出会いにモマれ、一転すべてがテキトー(笑)。
復路はそれこそテキトーに日本海側に北上し、糸魚川で特急電車に乗り替え、京都・大阪を目指す(山だかりで飽きた)。
そのうちの一人に、何故か浜松の兄ちゃんがいて、「OHAYOH」のTシャツをいつもきていたので、いつの間にかみんなから、「オハヨウ」と呼ばれていたっけ。
でもって、そのオハヨウ。ワタシのことが好きになり(当然、男だけど)、離れるのが寂しくて、強引に京都回りで帰ろうとしたのだが、お金を1000円しかもっていない。
というワケで、シャショーさんがくると、便所にソッコーで飛んでいったが(笑)、よい子のみなさんはマネしないように。
そのあと、何故か兵庫の三田学園の兄ちゃんちが(ワタシたちのちょっと上に、巨人の淡口と山本コージと、もう一人誰かがクリーンナップを打っていて、その時だけちょっと有名)、
「ヒデボー。おれんちにとまって行けや」。
というので、福知山線に乗り換え、山深い丹後(だっけ?)の国に分け入ったりもした。
蜩が鳴く。蝉しぐれとは、こういうもので、その日暮らしとはこういうものなのかと、行く末を思う。
なんて、翌日の大阪までの車中で、友達が武庫川女子短期大学のオネエさんをナンパ。少しだけ、文通しました(笑)。
長野を出て、すんごい時間をかけて山口まで帰ってきたような気がしたが、あの頃もバカだったなぁ。
先週は、新馬のアドマイヤテンクウ。燕特別のアドマイヤアトム君の、530〜550㌔の巨馬の単勝を握りしめ、アンカツやカッチーと一緒に、フンガフンガとテレビの前で新聞を叩きまくって、すんごく疲れた。
チョー大型馬は、身体に悪いかも(笑)。