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「武豊の無念の巻」

 仕事仲間五人でテレビを囲み、うち一人がJRAの元ジョッキー、彼の解説付きで凱旋門賞はスタートした、ここは都内の某事務所。

 丹下エクウス集合と誘われていた、それをうっかり忘れて、もちろんビールもある、贅沢な観戦と相なったのだ。

 胸が高鳴るボクと、それを抑えようとするボクがいる、後者のボクはこの2ヶ月「勝てる勝てる」と煽るマスコミにやや反発を感じる、それはちょうどディープインパクトが出発したのが8月だったからかも知れない、過去の大本営発表も「勝てる勝てる」だった。

 戦勝ムードに水を差すつもりは毛頭ない、ただそう口走っただけで非国民扱いされるのもどうなのか、サークル関係者の本音を質す、彼は「九割方勝てる」と言った。

 八月二日美浦入りしたディープの馬体は他を圧倒していた、これがサンデーサイレンスの結晶、440キロには思えぬオーラを感じた、毎日のように観察したプロが導いた結果が「九割方」なのだ。

 一割は何か。

 じつは、この一割が競馬にとって大きい、背負いなれた斤量57キロと53.5キロの3.5キロ差は問題ない、「59.5キロってのがアッチャーだよね」、57キロを超えるとガクンと反応が鈍くなる、騎乗経験者は身体で覚えている。

 武豊はパドックで静かにしてくれと人差し指を口につけた、ゲートも最後の最後まで入らない、人事は尽くした、あとは天命を待つだけ。

 果たしてそうか。

 武豊がもっとも分かっていたはず、いや、解説の岡部幸雄氏も分かっていた。

 NHK三浦拓実アナが問うと、勝てるとは断言しなかった、口ごもって「期待する」、それで理解してくれないかと言いたげだった。

 「さすがのユタカでも顔がこわばってる」、彼はテレビに向かって呟いた。

 

 それが1920年カムラッドの勝った第一回からの伝統の重みとは言わない、ディープは伝統を打ち砕く実力をじゅうぶんに蓄えている、やはり勝負だった。

 岡部幸雄氏はそれを十二分に知っている、だから断言できないのだ。

 ファーブル三騎は、前にシロッコ、直後にハリケーンラン、後方にレイルリンク

 スミヨンファロンパスキエは、ディープでではない、武豊を包囲した。

 「ディープインパクトは弱いって、みんなで声をあげましょうね。そうしないと向こうの騎手に邪魔されちゃうから」、

ハーツクライのパブリックビューイングで丹下の発した言葉が頭をかすめる、「ユタカはフランスに来なくていい、ディープには僕が乗るよ」とペリエが冗談を吐く、ユタカは「お前、それ冗談で言うてないやろ?」と返していた、いまや欧州でもユタカの名はとどろいている、世界の端に棲むニッポン人ではないのだ。

 十年以上も前から海外遠征を続けてきた、騎乗技術の習得はある、しかし、あの武豊がこつこつと愚直に機上の人となったのには「友好」もまた、いずれくるであろう勝負に備えての戦略であったはずだ。

 露骨な邪魔は見られなかった、残りの一割のその何分かは十数年の努力が実った、まだ何分かが足りなかった。

 ディープインパクトは走り切った、「ギアが一段上がらなかったという感じです」とコメントを出した、これは方便だろう、武豊は非情さを受け止めざるを得ない凱旋門賞だった。

 まったく勝負の世界とは。

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 カーカーカー。

 こうなったら、こっちも5〜6頭出走させちまったらどうだろうか。

 

   

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