「武豊の色紙論争の巻」
『週刊文春』(11月9日号)の「チョーさん主義」で初めて知ったのだが、福岡県の中2自殺事件で亡くなった少年の神前に、
「天国で応援して下さい」
と書いた色紙を贈った武豊騎手に対して、ネット上で論争になっているという。
かたや、美談として。
かたや、偽善として。
「こういう偽善って大嫌い。”死んだから”サイン色紙あげたんだろ?」
という書き込みから論争が展開されていったそうだ。
「武さん・・・ナニやってんの。こういうのはね、不治の病に冒されて寝たきりのベッドからテレビを観ながら『ベーブ・ルース、ボクのためにホームラン打って』的にそれでも目をキラキラさせて必死で生きようとしている子に書いてあげるモンでしょうが。さもイイコトしてあげてるみたいにこういう風にシャシャリ出てくる有名人ってすっごい腹立たしいんですけど」
「いじめられてかわいそうだったろうさ。だけど死んでちょっとはうかばれたかみたいになるのもおかしいと俺は思う」、などなど。
「偽善」というからには、武豊騎手が何か悪いことをしているから、それを繕うための行為だったのか。
また、彼が自己満足や虚栄心や打算的な目的から、この色紙を贈ったのだろうか。
そこが分からないのだから、「偽善」とは断言するのはいかがなものか。
武豊騎手が、何か得をしたとでも言うのか。
どうも幼稚な論争にしか見えないのだけど。
高校時代の授業で、「言うは易く、行うも易く、心遣いは極めて難し」と習った。
要は、武豊騎手の心遣いの問題なのだから、外野がぎゃあぎゃあ叫ぶ問題じゃないのではないか。
11月5日の『スポニチ』のコラムで、武豊騎手は、こう書いている。
「……心配するのは入場者が減ること。僕が言うのもなんだけど皆さん、馬券で的中して潤ってください。(中略)“競馬は楽しいな”と感じてください。『ったく、武豊でやられた』とボヤいてくれても結構だし」
彼は大切な競馬ファンを失ったことを、素直に悲しんでいると思うよ。
おそらく、マスコミが美談として取り上げたから、それに対する反発で書き込みがあったと推察するが、武豊騎手の本心を知らずして、しゃしゃり出る有名人は腹立たしいとか思い込むのは大人気ないじゃないか。
もっと、人を信じてもいいと思うが。
カーカーカー。
ネットでいろいろな書き込みがあるのは知っていたけど、改めて読むと、そこにはユーモアがないから救われない。
くわばら、くわばら。
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