生まれ変われるものならば
もし生まれ変われるのなら、中日ドラゴンズの浅尾になって、160㌔の球をビュンビュン投げたい。
そうブログに書こうねと、大竹聡サンと編集者と、先週の日曜夜、盛り上がったが、コロリと忘れていた。
浅尾は色白で今ふうの男前だ。子供っぽく見えても、野球選手だから、やっぱデカいし、脚も長いんだよな。
無口な感じもいいし、ボスの落合の指示にも意気に感ずる、そんな姿勢もいい。
「だったら、いっそ田淵になって、ポカ〜ンという滞空時間の長いホームランを打ちたいな。ジャネット八田とも結婚できるし」と、栗岩太郎クンはいったが、コイツには死球攻撃だな。
週中に、根を詰める原稿が一本あって、ブログに手が回らなかったが、なんとか締め切りをクリア。
お金は、もらうぶんの努力という対価が、やっぱ必要なんでしょう。
だからといって、安いギャラには手を抜いているワケではない。
しかし、思わず放り出したくなる仕事もある。
特にやっかいなのは、「ネットだから、これくらいでいいでしょう」と、普通の原稿料の半分以下というのを(普通という基準はまちまちだが)、フツーに提示する人が、たまにいる。
情報を右から左に並びかえただけの、二次仕様のニュースならば、それでいいのかもしれないが、書きおろしというか。オリジナル原稿は、普通に料金が発生することを忘れているんでしょうか。
ネットの「安い」は、紙を刷る代金や流通コストがいらないからであって、原稿そのものが安いワケではない。
ま、そういう人に限って、漢字を一つ間違えただけで、「コイツの原稿は甘い」的な、大物編集者気どりだったり、「この表現は、世論一般的の意見から異なりますね」と、署名入りの原稿を勝手に手直しする。
「なにか肩書きがないと、使えませんね」と言ったすぐそのあとに、「フリーの立場だから、雇っているんですよ」だって。
何をしたいのか、サッパリわからん(笑)。
ま、モノ書きと編集者は、昔からそういう小さな戦いの繰り返しだが、ああ。三島由紀夫か大江健三郎か、井崎シューゴローになりたい(笑)。
トールキンの“指輪物語”を、また開いてしまった。
実はトールキンは、ロード・オブ・ザリングのおかげで、世界一金持ちの作家だったんですね。
今週は、阪神2000mの新馬で、ギュスターヴクライとソレデマーヨが激突。
黄菊賞にはリベルタスとミッキーマスカットが出走。リベルタス、CWで上がり11秒台。少し腰がしっかりしてきた感じ。
クリアンサス、坂路36秒台。走るハズなんだが。
母Isadora、そっと馬名登録。
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