俺、原田だが
1980年、ヘンリー・ミラーが逝き、ジョン・レノンがピストルで撃たれた。
全共闘世代でもない1950年代生まれの中途半端な田舎者は、ビートルズもローリングストーンズもセルジュゲーンズブルも、いろんな人や物を後追いするだけだったが、東京のど真ん中にいれば、巨星が墜ち、60年から引いたあの時代が、一つの終りを迎えただろうことは、少しはわかった。
70年代への哀悼と、新しい時代が来るという、無責任な胸騒ぎを同時に感じながら、20代の自分は、80年代をどう生きていくのか。
そんなときに観る映画には、何故か必ず、原田芳雄さんがスクリーンの片隅にいた。
「反逆のメロディー」も新宿アウトローシリーズにも乗り遅れたけれど、80年代前後とそれ以降の話題作と呼ばれる映画には、“友情出演”のクレジットで、ときに、しばしば、必ずひょいと顔をのぞかせる。
ある時はオカマで、ある時はスナイパーで、またある時はヤクザの親分だったり、情けないサラリーマンだったり、友情出演はチョイ役ばかりだったが、映画を観たあとの酒場で、話も尽きた頃、
「また、原田芳雄が出ていたね」——誰かがポツリと呟くと、何かひとつの共有感を得たような気がして、みながそっと笑い、場が和んでいった。
松田優作は、竹中直人サンが立派に演じ切ったけれど、サングラスをかけても髪をのばしても、煙草をくわえてもブルースを口にしても、原田芳雄像には近づけない。
生まれ変わっても、どんなに真似をしようとしても、原田芳雄になれないことを、私たちは知っている。
癌患者は、「命がけ」で何かを成そうとすると、本当に死んでしまうのに。
そうじゃなくても、毎日ゆっくりと死に向かっているのに。頑張っちゃダメだったのに。
今さらながらの後追いだが、これからゆっくりと、原田さんの映画を見るかなぁ…。
下足番の栗岩太郎クン。
下手な真似っこは、四谷三丁目のスナック「しのぶ」のママにしか受けないから、ほら映画のビデオ収集。
一本、100円で買うよ。キミの出番です。
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