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「馬淵弦三さんの思い出、の巻」

 事務所を引っ越して、1ヵ月。段ボールの片付けをしていると、懐かしい雑誌を発見。

 1996年11月に毎日新聞社から発行した『ドラマティック競馬〜’96有馬記念〜』。

 ボクがフリーになって1年目に編集した雑誌。

 たしか実売4〜5万部はあったはずだが、それ以上に多く刷っていたので、返品も多かったなあ。

 丹下に書いてもらった「血統は万世牝系」という記事が、アマゾンウォリアー、アベイアンスラス、ネイティブパートナー、パンジなど、マニアック過ぎたのかも知れない!? 

 他、かなざわいっせい氏には、彼が従業員として働いていた川上牧場(ナリタタイシンを生産)の姑と嫁にスポットを当てて「牧場のおかあちゃん」を書いてもらった。

 また、JRAの推薦で歌舞伎役者の中村芝翫(中村橋之助の父)に鼎談していただいた。芝翫さんが新聞を読んでいるシーンを撮影するとき、「1馬を使わせてください」と言われたときには驚いた。まさか、人間国宝が、1馬とは。

 もっとも思い出にあるのは、「逃げ馬に唄が聞こえた〜『艶歌の竜』馬淵弦三」。

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 馬淵さんは、五木寛之さんの小説『艶歌』に登場する「演歌の竜」のモデルになった音楽ディレクターで、映画『艶歌』(68年)も作られた。美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、島倉千代子「からたち日記」、水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」など数々の名曲を手がけた。

 では、ここで馬淵さんが手がけた小林旭の「自動車ショー歌」を、時代とともにお聞きください。

  http://www.youtube.com/watch?v=eeyjzIiuml0

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 昭和23年、トキノミノルが走っている時代から競馬を始め、仕事場の「日本コロムビア」には行かず、家から競馬場に直行。中山競馬場では、しょっちゅう『コロムビアの馬淵さま』と呼び出しがかかっていた。指定席券をもらっても、それは使わず、100円玉を握りしめて、大衆にモマれながら観戦するのが常だった。「本命は金持ちが買えばいい、大穴狙いが庶民の夢だ」というのが信念。

 この「自動車ショー歌」も、新橋駅前で、若者が列を成して並んでいるから、「何があるの?」と訊いたら、「自動車ショーがある」と返事。買えるわけのない世界のスポーツカーに夢を持っている。これからの若者は、スポーツカーだ、と直感。そのまま、作詞家・星野哲朗さんに「とにかく、すべての自動車の名前を織り込んだ歌詞を作ってくれ」と頼み込んだのだそうだ。

 そういう話を聞いていて、会いたくなったのだ。神奈川県藤沢市のご自宅近くの喫茶店に、ライターの中田潤さん、カメラマンの関真澄さんと3人で向かった。馬淵さんは疲れていた。後で知ったのだが、肝臓ガンに冒され、療養中だった。

 仕事中の写真を撮らせてもらいたいと依頼すると、「今度、アキラのレコーディングがあるから、そこに来てくれ」。後日、青山ビクター裏のスタジオでは、スクリーンでしか見たことのなかったマイトガイ小林旭が『惚れた女が死んだ夜は』を唄っていた。何回も何回も歌い直していたのを覚えている。

 馬淵さんは、この雑誌が出版されて約半年後の1997年5月15日に逝去された。この歌が最後の仕事になった。娘さんから電話があり、その時の写真を遺影に使わせて欲しいと依頼され、関さんの写真が、お別れ会の会場に並んだ。

 「艶歌やってるやつが血統だとか、そんなこと言っちゃいけねえよ。女だからって馬鹿にしちゃいけねえよ、美空ひばりは天下を取ったんだからね」

 と、おっしゃっていた。

 ああいう孤高な人生を生きた人は、少なくなったなあ。

 では、最後に、しみじみとお聞きください。

 ぜひ、最後まで聞き遂げてください。『惚れた女が死んだ夜は』です。

  http://www.youtube.com/watch?v=grb6-B6xfko

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