「桜花賞馬が死亡の巻」
この1週間に桜花賞馬が立て続けになくなった。
8月16日には、1993年優勝のベガがクモ膜下出血のために。
また19日には、昨年優勝のラインクラフトが急性心不全のために。
2頭とも闘病中だったわけでなく、じつにあっけない感じがする。
わたしが初めて阪神競馬場に行ったのが、ベガの出走した93年4月11日の桜花賞だった。
狙っていたのは、ホクトベガ。
鞍上の加藤和宏騎手をレース後に取材するので、単勝馬券を握り締めていたが、6番人気で5着に敗れた。
勝ったベガはオークスも制し、3冠のかかったエリザベス女王杯で、このホクトベガに敗れたのだった。
そのときの実況、
は誰もが知っているはずである。
その桜花賞のとき、驚いたことがある。
わたしはまだペーペーの編集者で、レース終了後、加藤和宏騎手を安全に、大阪の取材場所に移動させる指令を受けた。
しかし、GI当日で、タクシーがなかなかつかまらない。
そばで待つ加藤騎手をずっと立たせているわけにはいかない。
ダービージョッキーという、わたしにとっては緊張する御仁なのだ。
すると、加藤騎手。さらりと、こう言ったのだ。
「電車で行こうよ、混んでるみたいだから」
えっ!?
関西でもあるし、血の気の多いファンも多いだろう。
何よりも、この日の桜花賞で負けた騎手であるのだから、ファンに何かされたらどうしよう。
その旨を伝えると、
「そんなの大丈夫だよ。誰も分からないよ」
と、すたすた歩いていってしまったのだ。
仁川駅に向かうファンの波にまぎれて。
あのときはひやひやしたなぁ。
しかも、電車の切符も自分で買っているのだ。
気さくな人といえば気さくな人だが、ちょっと無防備なんじゃないか。
阪急電車の中でも、まるで通勤のサラリーマン風につり革につかまり、今日の騎乗について笑って語る。
でも、本当に誰も気づかないのだ。
難なく、梅田駅に到着してしまった。
時代なのか。
とは言っても、90年ごろのオグリキャップブーム以来、競馬はけっこうな人気になっていたし。
意外にも、われわれマスコミが思っているほど、騎手の顔は知られていなかったようだ。
そういう教訓を得て、作っていた雑誌では、騎手の写真を多く載せるようにした思い出がある。
でも、それもちょっと寂しかった。
カーカーカー。
丹下も、ファンに囲まれて身動きできないことなんてあるのか。
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