「金ピカ管理人より、ご報告」
拝啓。
桜花賞を来週に控え、春の清々しい陽気になってまいりました。
読者諸兄姉様におかれましては、ご健勝のこととお喜び申し上げます。
本ブログ『丹下の懺悔』もこの3月をもちまして、3年目に入ることとなりました。
ここまで続けて来られましたのも、ひとえに皆さまのお陰と、あつく御礼申し上げます。
わたくし、「金ピカ管理人」より、ご報告がございます。
先般、スタッフライターの栗岩太郎氏より、「ブログを書く自信がない」との申し出がありました。
皆さまもお察しのとおり、彼は、これまでも再三にわたりサボタージュを繰り返してまいりました。
しかしながら、その内容たるや、主筆の丹下日出夫をして
「栗ちゃん、オレより面白い原稿を書きやがって」
と、お墨付きをいただいております。
わたくしも、内容ウンヌンは別にして、競馬に対する熱い思いは認めております。
さっそく彼に会い、その理由を問いただしました。
「金か? 金ならオメエの欲しいだけくれてやるぞ」。
わたくし、超難関高校・超有名大学と階級的エリートコース一筋で歩んでまいりまして、言わば「一流の人間の周りには、一流の人間が集まる」ということを肌で感じておりましたので、このような拝金主義者に出会うとは思ってもいなかったのです。
ですから、金で釣れば、チーズで釣られた卑しいネズミのように「チュウチュウ」と前言を翻すと思ったわけでございます。
札束で頬げたを叩く。
そのようにして、いまの地位を築いてきたのでありますから。
ところが、何と下階級庶民とは恐ろしいものでしょう。
意地だけは一流なのです。
「金じゃない」と言い張る。
自分の辞書に「素直」という言葉を持ち合わせない人間には、ほとほと疲れます。
その点におきましては、主筆の丹……、いや、皆まで言うのは止めておきましょう。
「じゃ、何だ? 金じゃねぇと言うのなら、女か」。
金じゃなければ、女。何と論理的な展開でありましょうか。
凡百の下階級庶民は、ほぼ100%、この論理に叶っております。
わたくし、超優良企業に勤めておりまして、その職務としまして、地上げ・金脈発掘・マネーロンダリング・ノミ屋・少女売春・接待麻雀・恐喝・馬券偽造……など、帝王学を学んでまいりました。
そのわたくしの経験から、相手の心を萎えさせる手段として、「一にお金、二に女、三四がなくて、五にお酒」という法則を編み出しましたのでございます。
またまた、ところが、愚民とは何と奇怪なものなのでしょう。
この栗岩なる者、「金は売るほどある、女は捨てるほどいる、酒は腐るほどある」とほざくのです。
一瞬、目の前がクラッとしました。
わが家には、6代前の祖先が当時フランスにてナポレオンより献上された辞書が、代々受け継がれております。
この辞書には「不可能」の文字は載っていません。
幼少時よりフランス語を日常会話にしておりましたから、わたくしも、「不可能」という概念を知らずに生きてきたわけであります。
それが、この忌々しい男のために、思いがけなく知ることとなりました。
そうなると、恥ずかしながらお手上げです。
「金・女・酒」だけで突っ走ってきたわたくしのエリート人生を、根本からくつがえされてしまったわけでございます。
もしかしたら、彼は人類を超越した人間なのかもしれない。
いえ、きっとそうだ。
このように確信を強めたのは、彼の発した次のような理由からでした。
「ほら、ギターのFmってあるじゃん。オレさ、学生時代に、これが出来なくて、挫折した経験があるんだよね……」
かぐや姫に「妹」という曲があります。
これは、ギター初心者でも弾くことができる初歩的なコードだけ成り立っています。
「いもうと(C)よ〜(Em)、ふすまいちま(Am)い〜(C)、隔てて(Fm)……」と演奏します。
この時点で、彼は挫折したというわけです。
あの名曲を、「妹よ、ふすま一枚」までしか弾くことができないのです。
Fm、つまり、わたくし達は「制覇する」と言っていましたが、要するに、1フレットを人差し指を立てて、しっかり押さえることができない。
これは、かなり不器用な部類に入ります。
「……それと同じでさ、パソコンのキーボード。その『Q』を小指で打つことができないんだよね。そんなこんなで、原稿を書いていると、どうしても『Q』のところで、リズムが停まってしまうんだ」
まさかと思いましたが、これが、「ブログを書く自信がない」ことの理由だと言うのです。
まったく、下階級庶民には考えられないほど欲のない男です。
ですが、いったい、「Q」を使う原稿がどれくらいあるのでしょうか。
「おばけのQ太郎」、「マラソンのQちゃん」、「QBBチーズ」、「アメフトのQB」、「Qサイの青汁」、「QりのQちゃん」、「坂本Q」、「Q州ラーメン」と、いまの日本語にあるのは、これくらいのものでしょう。
だいたい、これまで、アイツの原稿にこれらの言葉が出てきたことがありましょうか。
バカバカしくて、開いた口がふさがりませんでした。
わたくしは、「Qが絡む言葉は打たなくていい。だから、ブログを続けてほしい。そこだけ空けておいてくれれば、ボクが打つから大丈夫だよ。何たって、ボクは超優良企業の幹部候補なんだ、『Q』くらい、小指で打てるさ」と説得しました。
「あ、そう。なら、やる」
東北弁の「ど、さ」「ゆ、さ」ではないのですから、もう少し言葉を尽くして欲しかったのですが、ここはわたくしが一歩ひきましょう。
こういう次第で、読者の皆さまにはご心配をおかけしましたが、これまで通り、栗岩太郎はブログを続けることとなりました。
心も改めて、しっかりとキーボードに向かいたいとも申しておりました。
いま、新しい企画を考えているところだ、とも申しておりました。
「考えているところ、というヤツに限って、何も考えていない」とは、わたくしの座右の銘ですが、それは、さておき。
せっかくの機会ですので、わたくしの提案により、今後は筆名も新たに
「栗岩New太郎」
でいくことに決定しました。
スタッフ一同、よりいっそう努力いたす所存でございます。
どうぞ、今後とも『丹下の懺悔』をご愛読いただきますよう、伏してお願い申し上げます。
末筆ながら、皆さまのご健康と、ますますのご活躍をお祈りいたします。
敬グ〜(ⓒエド・はるみ)