「京都飲み倒しの巻」
その日、ぼくは、みのもんたになった───。
神のご加護か、8月20日は馬券の調子が良く、器に似合わぬ大金を手にしたぼくは思った。
「そうだ、京都、行こう」
東京で仕事を終え、ちょっと一杯という感じで祇園に行くというみのもんたの豪気にあこがれていた。
こちとらも江戸っ子だ。
あぶく銭をちまちま貯めようなんてェ気は、これっぽっちもない。
ちょうど関西に出張中のプルデンシャル生命・佐々木啓治とスケジュールを合わせ、翌21日の朝10時03分の新幹線に乗った。
佐々木とぼくは、京都で学生生活を過ごした。
飲み屋もじゅうぶん熟知しているのだ。
昼過ぎにむんむん暑い古都に着き、自転車をレンタルする。
金があるのなら、京都名物のMKタクシーを貸し切らんかい!
との声も聞かれる。
が、これとて、健康番組を標榜する、みのもんたの『思いっくそテレビ』に敬意を表してのことなのである。
夜までには時間がある。ぼくは競馬巡礼の旅に出た。
まずは、『WINS京都』に詣でて、パンパンと二礼二拍手一拝。
近くには、『祇園甲部歌舞練所』があり、競馬開催日には舞妓さんがすっぴんで現れる。
忠臣蔵・大石内蔵助が討ち入りをカモフラージュするために遊び呆けていたという『一力亭』もあり、お茶屋の丁稚が下駄を履いて昼休み時間に馬券を買いにくる。
花街とギャンブルがお互いを尊重し合って息づいているのだ。
「ぽくぽくぽっくり、祇園の擬音」
と詠んだのは、詩人の堀口大學だったか。
土日には、「ぱかぱかがっくり」もまた、祇園の擬音である。
次に、開店前の『京料理・銀水』の門前にて、二礼二拍手一拝。
おお、ここが武豊Jも足繁く通うという料理屋さんか。
雑誌『競馬最強の法則』がまだ月刊誌になる前、つまり、増刊号だった時代に、須貝尚介Jが中心となり、石橋守、松永幹夫、武豊、たしか角田晃一もいたと思うが、当時の若手騎手の座談会を読んだことがある。
その場所がここだった。
今でも、日曜日の夜になれば、彼らに会えるのだろうか。
そして、『狸狸』の階段下で、二礼二拍手一拝。
競馬カメラマンの藤岡祥弘さんに連れて行ってもらった店だ。
他にも、『馬は誰のために走るのか』や『調教師物語』の著者・木村幸治さんも訪れていたそうだ。
ここに来れば、競馬のマスコミ事情通になれる。
予想界からは、『新馬場適性理論』を編み出した棟広良隆さん。
彼が卒業した京都大学の校門に、二礼二拍手一拝。
ノーベル賞受賞の湯川秀樹、朝永振一郎先生から、競馬の万馬券男までを輩出したのである。
その教育法は、いったいどこにあるのか。
生まれ変わったら、ぼくはここに入学しようと思う。
まぁ、駿台予備校にでも行けば、何とか合格するであろう。
ということで、合格祈願のために『北野天満宮』に寄り、そのまま西へ西へ。
西方浄土。
ぼくは死出の旅をしているわけではない。
北嵯峨高校の校門に、二礼二拍手一拝。
おそらく、ここは『競馬エイト』のヒロシTMが卒業した高校ではないか。
彼のファンだったぼくは、飲んだときに「京都市右京区出身」であることを聞いていた。
そして高校球児だったことも。
だから、野球で有名なここを勝手に彼の卒業校と思っているのだが、当たらずも遠からずであろう。
って、そんな曖昧な言い方があるのか!
ヒロシTMは後に関東の大学に入り、芝居を始めた。
芝居をする以上、演劇的な発想力がなければいけないわけで、それが今、予想につながる。
予想コラムは当たり前でない。
目の付け所が、馬券意欲をくすぐってくれるのだ。
最終地『平野屋』。
化野念仏寺、愛宕寺の側にある鮎料理屋。
ここで佐々木と関西在住の競馬キャスターと待ち合わせをした。
彼女から聞く関西競馬事情を肴にして、思う存分、飲んだ。
この値段。
いつものぼくなら、目が飛び出て卒倒してしまうが、今日は負けない。
チップまでつけて、ガツンと支払うのが、みのもんたなのだ。
カーカーカー。
ぼくは、その日、間違いなくみのもんたになったのだ。