「ヨガによる必勝法の巻」
おお、訴えたければ、訴えるがよい。
著作権法違反。
私は火で炙られようが、水攻めにされようが、この一文の「出典」を口にはしない。
丹下が人として非ざる道を歩んでしまうことに比べれば、私が投獄されることなどちっぽけなイベントに過ぎないのだ。
「インドのヨガ行者は、きびしい肉体的鍛錬によって、そのペニスに霊妙な力を賦与することができるそうです。たとえば、尿道から水を吸い上げることができるようになる」
この全文を読みたければ、古今の「文春文庫」を洗いざらい調べてみよ。
出典を記せば、丹下がヨガに飛びつくことは見えている。
この夏競馬から本紙予想を降り、評論家として再出発を始めた丹下。
本紙予想を担当する者は新聞の数だけしか存在しないが、評論家は、自称を含め星の数ほど存在する。
この中で生き抜くためには、独自性がなければいけない。
だが、私は思うのだ。
「尿道から水を吸い上げることのできる競馬評論家」に、何の説得力があるのだろうと。
丹下の浅はかさは、ここにある。
ヨガ行者は、決して「尿道から水を吸い上げる」ことを目指して修行をしているのではない。
要は、「超人的な能力を獲得する」ための修行なのである。
丹下のように、それとこれとをはき違えてはいけない。
この一文を読んだ私は、居ても立ってもいられなくなり、ダービーの翌日、渡印した。
お約束どおりにガンジス川で沐浴をしてから、首都ニューデリー近郊でヨガの普及活動に勤しむクリシュナ・カッチャーナさんを訪ねたのである。
ヨガの修行のひとつに、プラーナーヤーマと呼ばれる「呼吸法」がある。
もちろん、姿勢や精神統一を重視した修行もあるが、私は「呼吸法」に思い入れがあり、短期間でそれだけを学習したかった。
クリシュナは、その大家である。
若いころ(今でも若いと言われるが)、剣道をやっていた。
私ほどの有段者(と言っても初段だが)であれば、技術を超えて「呼吸」で剣を交えるのだ。
つまり、攻めるときには息を細く吐き出しながら、間合いを詰める。
息を吸うときは、いったん間合いを切る。
瞬発力は、息を吐いているときに生まれるものだからだ。
逆に言えば、相手が息を吸った瞬間をとらえて勝負に出るのが、もっとも有効だといわれている。
また、3年前に「クレーム処理」に関する本のゴーストライターをした。
興奮してクレームをつけてくる相手に対しては、「相手の呼吸のリズム・深さを判断し、それに合わせる。そうしてから、今度はこちらの呼吸をゆっくりと落ち着けていく。すると、それにつられて、相手もだんだんとゆっくりした呼吸になって、落ち着いてくる」(『「謝ってすむ問題じゃない」で、どうする?』弁護士・米川耕一著・KKベストセラーズ)。
たとえば、歯科医院に行った子供がギャーギャーと泣いている。
医者は、落ち着かせようとするのではなく、一緒になってギャーギャー、ワーワーとわめくのである。
子供の呼吸のリズム・深さに合わせたわけだ。
すると子供は「あれ?」と思い、徐々に泣き止む。
つづいて、医者はゆっくりと大きく呼吸し始める。
すると子供も、それにつられて、ゆっくりと大きく呼吸をするようになり、落ち着きを取り戻す。
これは実際にアメリカの心理学会で行われた研究例だそうだ。
かように、「呼吸法」は単に息を吸うだけではなく、他者との関係を左右する方法なのだ。
丹下から、「栗ちゃん、渋谷に行って女子高生でもスーハーしない?」と、よく誘われるが、あまりにも民度が低い。
私は、こう考えた。
これを体得すれば、馬券につながるのではないか。
帰国後のエプソムC当日、東京競馬場のパドック最前列に陣取った。
入れ込んでいる馬に合わせて「ブハッ、ブハッ」とやるわけにはいかない。
そういう馬はあきらめて、「私の呼吸につられて来た馬」を狙ってみようと考えた。
私の呼吸といっても、人間のそれではない。
クリシュナからは、こう教えてもらっていた。
「人間は、1、2と吸って、1、2と吐く。しかし、馬は、1、2、3、4、5と吸って、一気にブハッと吐くんだ。タロー、それだけを実践してみなさい」
5秒間ゆっくりと息を吸う。
大声で「ブハッ」と吐き出すのも恥ずかしいので、声には出さず、だが力強い息遣いで実践してみた。
何回も何回も続けた。
すると10R「ジューンS」で、1頭の馬が感じてくれたのが分かった。
私の前を通ると、こちらをじっと見つめる。
私の前を通り過ぎると、耳をこちらに傾ける。
そうこうするうちに、その馬の息遣いが落ち着き、それとともに、歩様もゆったりとしてきた。
それは明らかだった。
これこそ、お互いが感じ合っている証拠ではないか。
そう独断した。
7番人気のミュージックホークである。
ヒモのカフェベネチアンを消してしまったため、馬連1万1600円は取り損なったが、ミュージックホークは早目先頭から、しっかりと勝利をもぎ取ったのであった。
その日は、さんざん負けてしまったが、私の心は清々しかった。
一歩だけ、ヨガ行者に近づけたような気がしたからである。
カーカーカー。
もしかしたら、今の私なら、尿道から水を吸い上げることができるかもしれない。