丹下倶楽部

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もうすぐ霜が降りる

霜が降ると、一夜にして朝顔は枯れる。その前までにと、ワッセゝと競って花を咲かせる。

陽の光が濃い夏は、青紫の大きな花を咲かせていたのに、秋は小振りな桃色に。
ただ昨日は12個、今日は10個。挿し木の朝顔チームも、なんとか花を咲かせ、本年の使命を終えようとしている。

来週あたり、忘れな草(アンチューサドロップモア)、スノーフレーク、プルモナリア(ラブグリーン)なんか植えようかな。
陽当たりの悪い仕事部屋の前の庭も(笑)、少しは明るくなるかもしれない。

この前、山口県で法事をしたとき、愚妻が押し入れから「中学校閉校記念誌」というアルバムを見つけ出した。

第1期は昭和22年、1学年は63人。第3期から140人を超え、マックスは昭和39年の217人。ぴったし、団塊の世代ですね。

その後の昭和43年まで生徒数は100人台が続いていたが、アルバムの集合写真は、校庭だか中庭だか玄関だか。クラス別にぞろぞろ並んでいるだけ。名前などない。

昭和44年からあれあれ。何故か一気に66人に生徒が減少。クラスは2組、しかしクラス別に初めて、それぞれの写真の下に名前が載るようになった。

ワタクシは27期の昭和48年卒業。3年1組。坊主頭が我ながらかわええ。

しかし、ほんの4年前まで、アルバムに名前もなかったのかと思うと、その前の卒業生たちのことがちょっとばかり悲しい。

そして、昭和55年から28人に一気に減少。それ以降はオールひとクラス。第61期は9名、そして平成20年・最後の第62期は14人。これでジエンド。

廃校記念の寄せ書きの中に、高校時代、学年一の美少女だったSさんがいた。なぜか音楽の先生として写真に写っていて、贈る言葉なんかを残していた。

高校の時も目玉のグリグリと大きな飛び切りの美少女だったが、おばさんになっても綺麗でびっくり(笑)。

高校時代、確か。廊下ですれ違ったとき、「おはよう」と3回言ってくれたような気がする。

先週から3場開催。原稿書きが忙しくなった。

机に座って仕事をすることが多くなったと前に言いましたが、なぜか丁寧になってしまい、仕事に追われがち。

真面目過ぎると、やっぱ疲れますね。

丹下厩舎は土曜日のアイビーSにチャンスザローゼス。東京の未勝利にマテンロウカノンが出走予定。

ローゼスは、同厩の古馬OP馬など、追い切りを走る馬と併せたこともあるが、まだ背腰が大きくなりきれないのか。時々遅れる。

東京コースは避けては通れない関門。体重を維持し、目途を立ててくれるといいね。

菊花賞は本命はガイアフォース、対抗はボルドグフーシュ。

気合いを入れて馬券を買おうと思う。

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